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ヒモトレ介護術(小関勲氏監修)を拝読

介護のみならず、人を援助・支援するとは、どういうことなのかを深く考えるきっかけになる書である。

実際の介護や養護の現場で目覚ましい成果が上がっているいくつかの実例に加え、脚注にリンクされた動画で確認できるのも画期的かつ説得力がある。

一方、この本のすばらしいところは、ポジティブな結果の紹介に終わらず、わかりやすい効果や変化が見えない場合について、丁寧に扱われ考察されている点である。多くの健康法では、ないものとして扱われがちな側面である。

華々しいホームランのような成果は、絶え間ない地味なエラーを含む安打や凡打のような変化の積み重ねの上に成り立っている。長期的支援が必要とされる介護や養護教育の現場で、地道に忍耐強く活動され、しかもヒモを通じて成果を上げられている著者の先生方には、貴重な症例をシェアして頂いたことに感謝の意を表したい。

高齢者介護に関しては、全部の要素が下り坂に直線的に衰えていくわけではない。日々揺らぎの中で刻々と変わっていく。しかし、どの段階でどんな状況だろうと、可能性や希望がなくなるわけではない。

被介護者との関係性が濃ければ濃いほど、過去の状態の残像や、他のケースとの比較、過剰な期待に囚われてしまいがちである。ヒモは、その隙間に無邪気にすっと入りこみ、遊び心と軽さと共にいつの間にか全体性を刺激する可能性を秘めているようだ。

援助者にできることは、健康寿命を少しでも長くし、人間的幸福度を維持する手助けである。

高齢であること、持病があることは、しばし可能性に目を向けない言い訳にされがちである。

しかし、この本で紹介されているいくつかの症例は、人間には、例え高齢であっても障害があろうとも、個々に人間的幸福度を向上させる可能性が常に開かれていることを示唆している。

本書で紹介されている、えぼし巻の実施例は、人間らしさや生の質について考えさせられる。人間的幸福度とリスク回避のバランスが問われる。ちょうど、92歳の父がタイムリー?に食事の度に咳き込むようになってきた。筋力も衰え、姿勢も前傾になって胸郭上腔も構造上狭まり緊張しやすくなっている。すかさず、えぼし巻を試したところ、咳き込みなく食べることができた。わかりやすく効果的だった。その巻き方からヒモが微細に刺激するであろう舌骨や甲状軟骨付近に優しく触れてみた。呼吸は明らかに深くなり、その後の食事がヒモなしでもスムーズになった。

どの段階であっても、サポートできる余地があることをヒモとこの本が教えてくれた。

ヒモトレ介護術

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