音楽家やパフォーマーにとって、オーディエンスが多く集まる場所での講演ができなくなるのは、死活問題である。そんな中、何度も会場として使用させて頂いている代官山ライブハウスの「晴れたら空に豆まいて」がクラウドファンディングを立ち上げた。
私自身、存続を応援したい気持ちから、僭越ながら、応援メッセージを送ったのだが、ほとんどの方は、当然、晴れ豆を熱く応援する内容になっていたが、菊地成孔さんのメッセージはひと味違っていた。以下、勝手に引用:
「日常的に数多くの店に世話になっており、特定の店だけを応援しているように誤解されない事を願います。あくまで僕個人は、基金によって、救われる店と救われない店が明確になるようなシステムへの寄与は避けたいです。今、全てのライブハウスがクローズの危機にさらされています。僕の願いは、全ての店がサヴァイヴすることに他なりません。「晴れたら空に豆まいて」さんには、実に様々なイベントでお世話になっておりますので、単にそのリージョンのみによって、エールを送ります。他店には出来ない、イマジナリーなイベントを開催してくれている場所です。頑張ってください。」
菊地成孔(音楽家/文筆家)
これを読んでガツンとなった。一つの贔屓にしているライブハウスだけでも生き残ってほしい、と思うのは当然の願望だが、ふと気がついたのは、緊急事態下という圧がかかっている条件では、生き残るところは生き残るけれども、そうでないところは、閉店しても仕方が無いと心のどこかで思っていたことに、菊地さんのコメントを読んで気がついた。
そう生き残るべきは、全部のライブハウスなのだ。趣味や方向性も違うし、行かないけれども素敵なお店はたくさんある。素敵でないお店もあるが、じゃあ優れた(と自分が勝手に認識している)お店だけが残ればそれでいいのかというと、実はその考えは間違っている。自分と一見無関係に見えるお店や他人も、見えないだけで循環の中で関係し合っている。
たくさんの種類のお店があることで、それぞれのお客がお好みの店にいき、棲み分けされているので、お店としてもいろいろ絞りこんでライブすることができる。自分の興味の対象以外の世界が回っていることを無視していいはずがない。
自分の業界にもいえる。いろんな療法やアプローチがあって、必要とする技法に必要なタイミングで会うべきセラピスト/プラクティショナーがいるから全体が回っているのであって、そのためには、様々な療法と個性ある人材が豊富に存在する必要がある。
“救われる店と救われない店が明確になるようなシステム” には疑いを持つ必要がある。状況がどうあれ、圧力が加わったことで、適者生存のような考えは間違っている。 こんな状況だから、救われないお店やプラクティショナーがいても仕方ないなんて諦めてはいけない。
不要不急とされることが人生を豊かにしてくれる。神経系が興奮する「急で必要なこと」がないようにゆっくり生きることが健康につながる。適者生存の考えではなく、棲み分けること – 潰れていいお店や仕事を続けられない人達がいていいはずはない。少なくともそういうヴィジョンを持っておこうと思う。
クラウドファンディングを利用せざるを得ない業種もあるが、日常の中で、いつもいくお店に足を運ぶことが、間違いなく応援になる。