「感じる」と日本語の言葉に対して、英語にはいろんな種類の感じるが存在する。身体の感覚を扱っているが、英語ではいろんなニュアンスを使い分ける単語が多いため、漠然としがちなので、一旦整理してみよう。日常会話的に用いられている意味とは別に、ソマティックプラクティスで用いられる場合の意味として捉えて下さい。
feeling : 主観的なからだの生理的な状態と密接に関係した「気分」「情動」のこと。
interoception : 内的感覚。からだの内側で起こっている反応を通じての感覚。
feelとは、このinteroceptionについて尋ねるときの言葉と思っていいでしょう。
それに対して、exteroceptionという言葉があります。
exteroception: 外受容と辞書にあります。外的な刺激に対しての感じ取り方。
sensation: 主に五感の感覚器の反応。その外部からの刺激の受け取り方。ただしその刺激が何であるかという認識までは含まない。その刺激をそう感じるところまでの段階。
したがって、exteroceptionについて、尋ねるときには、sensationを使います。
perception : 知覚・認識。sensationを通して得た情報を経験を通して解釈して、それが何であるかを認識すること。様々な外からの刺激があるが、それをどのように受け取っているか、掴んでいるかは、perceptionである。sensationがなければ、perceptionもないことになります。
これらを踏まえて、重要なのは、feelingやsensationを通して得られた情報をinteroceptionに落とし込むことです。様々な感覚を統合して認知する機能が脳にはありますが、その認知様式には、エラーも含まれていますが、ほぼ自動的に反応していしまいがちです。それらを大脳皮質の処理に任せっきりにしてしまうのではなく、その感覚を一旦、interoception特に内臓感覚で感じて、整合性を確認してみること。つまり、それが腑に落ちる感じにつながるのか、それとも、何か違和感として感じられるのか、行動を決める時の大きな指針になります。一般には、感覚→知覚→認知という作業は大脳の高次?の機能で統合されていることになっていますが、肚つまり内臓感覚がそこに関与しないのは経験的に違和感があります。
ですから、在り方としては、常に様々な刺激にオープンでいながらも、それらを内的な感覚で、主観的には自分がどう感じているのかを常に感じることを自分に許可しておくことが大切だと思います。いいものを見聞きして、美味しいものを食べるというような5感を刺激することは大切ですが、その刺激を自分の内側は主観的にどう感じているのか?言葉を換えればそれが、からだの声を聴くということにつながります。それをしない限り、情報や一般の評価に合わせた感じ方・捉え方になってしまい、本当は自分がどう感じているのかが、分からなくなってしまいます。それは主体性を放棄する第一歩です。大多数迎合の気運が高まる中、別に声を上げなくとも、自分が正しいという選択を静かにしているためにも、interoceptionを大切にすることには大きな意味があります。からだの声やサインを無視しなければ、いたずらに健康を害することはなくなるはずです。
ロルファー田畑浩良の私見と主観に基づいているので、ここで書かれてことを鵜呑みにせず、ご自分の身体感覚を通して、実験・体感して検証してみてください。