つながり,の大切さを強調されすぎると,今度は一度つながった関係性から離れるのが難しくなる。そうなるとしがらみや囚われの中での関係性となり,結果として,次に出会うべき人や行くべき場所にアクセスするチャンスを逃してしまうことになる。
例えば,分子と分子にしても,一旦結合したらもはや離れない,共有結合もあるが,結合力は強固ではないけれども,その代わり,離れたり,またくっつくことが動的にできる,水素結合のようなつながり方もある。
人と人,人と場所も,必要なときにつながり,そうでないときには離れることができるような,ゆるい遊びのある関係性が健全だ。
固定化されていない,動的な状態,いったりきたりできる自由な関係性をつねに築きたいもの。
ネットでつながったり,いろんなつながり方があるけれども,つながりを強調しておけば,離れることに罪悪感を持たせたり,本能的な帰属欲求を刺激することで,グループやコミュニティから離れる動きを抑え込むことができる。
会社を辞めるときに加入していた生命保険を辞めようとしたときに,保険の担当のおばさんが,いつもニコニコ対応していた顔から一変して鬼のような形相と対応になったことを覚えている。
うちの親父は90才で一人暮らしだが,孤立して孤独なわけではなく,独りを楽しんでいる。そのような状態をloneiness ではなく,solitudeというらしい。人によっては誰かと群れていたい人もいれば,ほっておいてほしい人もいる。ほっておいてもらう自由があるはずなのだ。
しがらみの中でのネットワークやグループに籍をおくことで,漠然とした不安を誤魔化しているとしたら,とりあえず距離を置いてみる。会合を休んでみる。行くのを延期してみる。そのコミュニティが健全であれば,その自由を認めてくれるはずだ。
そうでないとしたら,その関係性は健全ではない。そこから離れようとした瞬間,搾取する側は供給されるモノが絶たれてしまうため,あるいはその脱退の連鎖がおこるのを押さえるために,別の顔を現す。
あなたをケアしているはずのセラピストや所属しているグループから,そこでできることを完了して,次のレベルに移行する時にその人達はそれを心から喜んでくれるだろうか?
それとも,何か理由をつけて囲いこもうとするだろうか?
必要な時に出会い,つながることも大切だが,離れるタイミングがきたら,離れる自由を確保していたい。なぜなら次に出会うべき人や機会が遠ざかってしまう。それでもそこに留まったり通い続ける場合,自分が何を得ようとしてそこにいっているのかが明確で自覚できていればいいと思う。
移行期,大きくシフトするタイミングが人生には何度か訪れるが,今までのパターンを捨てて慣れないやり方になるので,不安になったり,混乱を感じたり,という時期が必ずある。
そこは焦らず,長い目でみて,躍動する時期もあれば充電期もあるとして,じっくり進むしかないのだろう。
統合するということは,一貫性をもっていろんなレベルを一致させて行くということ。身体の整合性や内側の関係性が変わっていくと,身体の外との関係性にも影響が及んでくる。