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自分に合った学び、施術

はっきりわからないけど、タイミングが合っていたり、何となく講師の先生の顔写真にひかれるとか、そんな一見曖昧な判断で参加したトレーニングはかなり自分にとって意味があるものだった経験がある。一方、今は亡き創始者から直接習ったことがあるとか、人気のようだから一度受けてみるか、という感じで参加したトレーニングにはハズレが多い。あくまで自分の印象だけれども。

売れ筋の商品だからという理由だけで買うマインドもいかがなものかと思うけれども、漠然と大多数が選ぶなら間違いはないだろうということを信じ込まされているからなのか?自分が求めることと、大多数が選ぶものがたまたま一致することもあるかもしれないが、それは珍しい例だと思う。

自分がもし、独自のものを追求したいとか、自分に最もフィットしたものと出会いたいと思うなら、むしろ、多数派が選んでいるものと敢えて異なるものを選択する癖をつけてみたらどうだろう?長いものに巻かれてばかりいると、自分の感性が埋没してしまう。

何か施術を受けてみようとする。その施術者の履歴は立派で何か権威がありそう。何かしっくりこないような腑に落ちてない感じがするけど、とりあえずそれは無視して、情報から確からしいと納得しようとして試みる。実際施術を受けてみると、やはり何かしっくりこない感じがつきまとう。そんな経験はないだろうか? 効果を感じないのは、自分がおかしいからなのか?? などと自分を疑ってもしかたない。結果とその印象がすべてなのだ。

油断すると、自分がどう感じるのか?より、漠然とした多数意見や常識という仮想頭脳に判断を任せることになり、主体がどんどん自分から離れていく。あの人の推薦するものだから確かに違いないと思って、信じ込もうとする。それは結果的には、一連の責任を自分ではとらずに人のせいにしているのと同じだ。

著名人や知り合いが推薦したとしても、あくまで参考に留め、選択した責任は自分で取らなければいけない。そういうことを放棄して、自分にフィットしない、或いは身の丈にあっていないことをやり続けても、必要なことは何も起きない。

お金と暇に任せて、何かすごいヒーラーや凄い先生を常に探し続ける人をたまに見かけるが、それは単なる欲の追求であって、その割り込み?!によって、本当にそれを必要とする人が、はじかれ、後回しになっているかもしれない。

自分にフィットする施術者はそう多くないと思う。それぞれが必要な出会いになるには、欲からではなく、うまくたくさんのモザイクがそれぞれにはまり、全体が棲み分けされるような平安な状態があるように思う。