身体と空間のワークショップのレポート

2019年8月12日のロルフムーブメントワークショップ:シリーズ空間と身体〜喉を通して共鳴する、に参加された方から、体験レポートが届きました。

空間を扱うワークの意味と可能性を示唆する貴重なレポートです。ご本人の許可を得て掲載させて頂きます。尚、参加された方とペアを組みワークを受けた後の感想です。

8/12のWS以降スッキリと軽くなったと私が感じている左顔面の部位(眼輪筋、前頭筋周辺)にずっと意識を向けているうちに、そこが9歳で左眼球の摘出手術をした時に気絶しそうな程痛かった部位だと思い出しました。
私の意思では制御できない身体の感覚が、どうやらその痛みの記憶を手放したようなのです。
3歳で左眼球に針金で受傷し2度の手術後、角膜が白濁し慢性的に結膜炎を患い、9歳で眼病を発症し右眼に転移する虞があり、小学4年の冬休みに急遽左眼球を摘出することになりました。左眼を摘出することは、結膜炎でかかりつけの眼科医が私の精神状態(白濁した左眼を隠すために眼鏡をかけ、それを級友にからかわれいじめられるために常に引っ込み思案で、医師に質問されても何一つ答えられないこと)を見かねて眼鏡の不要な生活に変えようとする意図もありました。私の代わりに医師の質問を常に引き取って答えようとする母に、「お母さん、僕はお母さんに質問しているんじゃないんだよ、この子に答えて欲しいんだよ。この子はこのままじゃだめだ、今の年齢を逃したら手遅れになる」と医師が言ったことがありました。

1974年当時、現代の医療とは異なりひどいゴム臭のするマスクで全身麻酔の薬剤を吸うときの不快感(耐え難くて口で呼吸した)その臭気にラベンダー、紫色のイメージが浮かんだこと手術室から病室のベッドに戻され、左手の甲の静脈(今も針の傷跡が残る)に入れられた点滴を看護婦が外すとき、全身麻酔で痺れ切っており身体に触れられた感覚が全く無いことこれほど麻酔が効いているのに、うっかり右眼の視線を動かすと突然左眼とその周辺に顔の内側から激痛が起こり声も出なかったこと子供なりに考えて右眼を動かさなければ良いと気付いたが、眼を閉じていると眼球はいくらでも動いてしまうこと
気を付けていても廊下の足音や病室を出入りする人の気配に気を取られ、眼球が動いてまた激痛に襲われることうぉー痛いよ、痛くてもう顔の左側半分いらない、助けて、助けて・・・  と思いながら、付き添う母が心配するだけだと思い黙っていたこととうとう病室の天井に嵌められた穿孔板に気付き、この板の、上から何番目、右から何番目の1点だけを見つめ続けることで激痛を回避したこと当時の全身麻酔施術の副作用で必ず催す嘔吐 
戻しながら、気分が悪くなるのは感じる、吐瀉物が食道をせり上がるのも感じるそれなのに、食道が胃液で傷みひりつく感覚は無い麻酔って不思議だなあ・・・と思ったこと

身体の中でそれらの激痛の記憶が、先日のWS後に無くなったことに気付きました。頭で思い出すことはできますが、感覚は曖昧になりとても気持ちが楽になりました。物理的に顔半分を切り捨てることができない代わりに、感覚ではとっくに捨ててしまって、身体を閉じていたのでしょう。今まで左側の空間を認識できていなかったので、床に落とした物を拾おうとして屈んだ拍子に頭が跳ね返るほど家具に左顔面をぶつけたり、他の部位に予想外の打撲を負うことが何度もありました。
今は身体の左側の空間を感じることができています。まるで身体に風が良く通るような感覚です。ベッドから左側の壁までの距離や、右半身を下にして横になっているとまるで天井がやさしく見下ろしてくれているかのように天井までの空間を感じます。9歳からの今日まで、長い年月だったと感慨深く思います。
おかげさまで、私にはとてもパワフルな間合いのワークの体験になりました。田畑先生やパートナーを組んで下さった方にありがたく御礼申し上げます。このWSシリーズは何度でも体験してみたいです。

コメントを残す