スーパーポジティブの危険性

様々な自然療法や代替医療の中には、インチキや怪しいものも多いが、その中にもその人にとっては有効な方法が少ないながらも存在する。

例えば薬の治験で、統計的な優位差があるから、薬として認可されているわけだけれども、優位差があるというだけで、有効とはならないパーセントもバカにならず高い。何割かは有効だからといって、それが自分に当てはまるわけではなく、全体の数字からは何パーセント有効かもしれないけど、個別にみると、効くか効かないかの2択になる。

であるから、統計的な優位差があるオーソドックスな医療もそれが確実性があるわけではなく、常に自分で判断するしかない。

では、非オーソドックスな治療法に出会ったときにそれを見極めるにはどうしたらいいのだろう?

たとえば、それが腫瘍だった場合には、実際にそれが退縮しているかどうかを、思い込みではなく、機器でチェックする以外には確かな評価はできない。

何か狂信的にその治療家を信じ切って、腫瘍マーカーやMRI、エコーによってその腫瘍が実際に縮小しているのを確認してはじめて、その方法が合っているのかどうか判断できる。

しかし、それを放棄して、診断方法によって被爆するからとの理由で、他の客観的な評価をしないことにするのは、とても危険な姿勢だ。

それが本当の治癒に向かっているのであれば、あらゆる方向からチェックしてそれを判断しなければならない。そうしないと、なんだかわからないまま、その怪しい治療家の思想を鵜呑みにして、思考停止のまま、後から後悔することになる。

バイデジタルOリングテストの医師達は、それが非侵襲的で正確な診断ができることを知りながらも、最新機器による診断を併せて行って、何重にもチェックを怠らない。そのおごらない姿勢こそが正しく、信頼できる。

診断方法によって、X線や、磁気の影響は多少あるとしても、診断を放棄するリスクの方が遙かに高い。

最悪の状況を想定して危機管理する一見ネガティブに見える冷静な視点を忘れてはならない。誰しも嫌なことを考えるのは避けたいが、その影の部分を本人もどこかで気になっているはずなのに、それを見ないようにして、スーパーポジティブになっている状態は、傍目からどこか違和感があり、危険である。

どんな生き方や死に方をしても人は自由だけれども、騙されたまま一生を終えるのは避けたいものである。