苦手克服に意味はあるのか?

最近よく考えるのは,苦手克服って必要ないんじゃないのかということ。

一芸に秀でたり,一つのことしかできない人に対して,あれもこれも周りは要求しすぎなのではないのかと思う。人間らしさとか自分という存在を理解するためには,

好きなことをする,というより,自分がしないといられないことをする。

やろうと思えばできるけど,気が乗らないのだったらしない選択を考える。

苦手なことは他人は得意で任せた方がいい場合がある。

余裕があっても,嫌なことや苦手な人と過ごすことで埋めない。

 

時間が無限にあるわけではないことを考えると,わざわざ抵抗のある方に向かう必要はないんじゃないかと思う。そこに何か目的や体験してみたいという興味があれば話は別だが。そうしないと,本当はオレって何がしたいのか? やりたいことをやっているときの充実感から遠ざかったしまい,わけがわからなくなってしまうような気がする。

そうしたことに無自覚だと,自分の本来使いたいセンサーの感度が鈍ってしまい,結果運気が下がるような状況を引き寄せてしまうのではないだろうか? 思考を停止させることなく,人間らしく自分らしく生きるには?ってなことを考えると,巷でいうような上昇志向とか苦手克服という言葉に惑わされないように用心する必要があるように思う。

そんなことを考えています。

一般に発達障害と診断される人々は,それ以外の人間ができることができないことをクローズアップしがちだが,それをそのままにしておくことを許さないことが多い。少なからず人間はデコボコしているわけだから,大きな支障がない限り,無理に克服しなくていいのではないか。上昇志向も問題だ。その状況を味わうことなく,常に何かを漁っているギラギラした前のめりの姿勢,そんな人が近くにいると落ち着かない。もっときっとその状態を味わった方がいいこともある。

そんな風に感じています。