心身を根本から見直す必要を感じて

セッション3回目

セッション3回目予定日前日から体調を崩し、結局3日間寝たきりであった。ひどく無理をしたわけでもないのに、ここ半年の間で、同じような症状でやはりながく寝ついてしまうことが2回あり、なにか自分の中にひっかかるものがある。

3回目のセッションでは、田畑さんが立たれる位置を決められるやいなや、即座に身体が反応して、追いかけるのが大変だった。というか、前半部、まったく動きについていくことが出来ず、動きにともなう感覚のみ少なくとも感じようと努めた。

田畑さんが触れられると、身体の細胞がそれにいきいきと反応する。今回も、脚に軽く触れられるだけで、そのあたりの細胞がぱーっと嬉しそうにはじけ、その直後、身体の中心からすこし右あたりを白いものがまっすぐに貫き、その部分がすぐに透明に変化した瞬間、身体が「おおっ」と驚愕の声を上げた。

途中、下腹部がそこだけ透明で全く無くなったかのように感じた時、また両肩が白く変わったイメージを感じた時も、やはり身体が「おおっ」と声を上げていた。これらの変化は田畑さんが全く私に触れることなく引き起こされ、田畑さんの凄さをただただ感じた。

途中、台の上から滑り落ち、胎児のように脚を組んで床に仰向けになっている自分。胸、腹部分が、茶色がかったオレンジ色の大きく横にひろがる楕円で満たされ、とても大きく息をゆっくりと吸う。胸のあたりになにか感じるものがあり、気づくと、顎の下から骨盤部分まで、灰色の長方形の、硬さのあるものに覆われている。これはいったい何なのか、必死で探ってみるがどんな感情もイメージも浮かんでこない。すると驚くことに、右目から涙が流れだしていることに気づき、それに続いて左目からも流れ出していた。

「泣くなんてまったく思いもしなかった」というと、田畑さんは「解放されたときにも涙は出ます」とおっしゃる。そのあとしばらく、表現は変だが、静かな、重くない悲しみに包まれ、そののち何ステップかを経て身体を起こす動きとなった。

田畑さんが台に座ることを促してくださり、どこに感覚があるかと尋ねられる。肩周辺に感じた私はそこを指で囲むと「ではそこを感じてみてください」とおっしゃる。じっと感じていると、思いもしないことがどんどん起こっていく。(ここからは、起こったことの時系列が少しあいまいである。)

‐突然顔を覆ってうずくまり、わあわあと声をあげ、なにか身体のなかから丸いものが飛び出すのを感じると、なんと「生まれてきてよかった」と叫ぶ。

‐自分がどんどんどん小さく、ちっぽけなものとなっていき、小さな粒となったとき、上へ上へと昇っていく感覚がうまれ、たどり着いた先は明らかに宇宙のイメージ、その中を落ち着いた気持ちでゆらゆらとたゆたっていた。両手を広げたり、上に伸ばしていったり、身体の前面が広がってとても解放された気分がたぶんこの前にあったと思う。

‐地球に戻ってきたイメージ。もう一度顔を覆う動き。今度は、どんな感情でいるのか探ろうとしてみる。最初は中くらいの悲しみを瞬間感じ、それに続いて胸のあたりが熱くなりだし喜びの感情がこみあげてきて、「みんなにありがとうといいたい」と声にだしていた。この、「みんな」とは、具体的に人をさすのではなくて、もっと根源的ななにか、原初的ななにか、のイメージが湧いていた。

‐私という存在は、もともと宇宙の塵のようなもので、そこに存在するもの達に応援されてこの世にやってきた、というリアルな感覚。

しばらくうずくまっていると、台から滑り落ち、丸くなってじっとしている自分がいた。ここからははっきりと覚えている。

しばらく丸くうずくまったままでいる。身体がよりいっそう小さくきゅっと収斂したかと思うと同時に、床に黒い、すべてのものを吸い込む一点が現れ、そこに床面に接していた頭の部分が強く吸い込まれていくのを感じる。吸い込まれたと思うと、こんどは、ポンッ、と収斂していた身体がはじけ、(その瞬間、両脚がはねたような感触を得る)「あ、自分は種子になっていて、たった今発芽したのだ」と確信する。そのあと、ぐんぐん芽を伸ばし、双葉となり、葉っぱの数を増やし、さらに茎をのばし、どんどん成長する植物の姿を身体で体現していった。最後の部分で、左足をまず地面につき、そのあと右足をついて、成熟した植物になるまでの間、身体をグラグラと前後左右に揺らしていたのは、まるで人間が大人になる前の思春期を再現しているかのごとくに感じた。明らかに私は生き直ししている、と確信し、静かな感動を覚えた。

今回、自分の感覚を感じることにのめり気味で、現実とのつながりが薄く感じられていたので、田畑さんが絶妙な間あいでかけてくださる声によって今に戻るタイミングがうまく与えられ、自分はとても安心して中の自分を感じる行為に浸ることができた。田畑さんがしっかりと今を見据えて私にそっていてくださる感じを私の中のひとはしっかりと受け取り、自由に振る舞うことができていて、とても解放されているな、と感じた。今回のセッションの後半部は、私にとってまるで物語のようだったのだが、それらの出来事を私にもたらしてくださった田畑さんには、今回もただただ感謝の一言でしかない。

セッション終了後:

セッション前よりも、肩が内側にきゅっと収まっている。

帰りの新幹線の中で、胎児の形をして、灰色の部分を抱えた姿の時の感覚にひたすら浸る。新大阪駅につくと、視界がまた一段と開けたように感じ、光のまばゆさ、そして目にはいってくる人の波、情報量の多さに、どぎまぎした。

セッション翌日は、起こったことを自分の中で咀嚼することが難しく、あせらずゆっくり感じてみようと思う自分がいた。また、その翌日には子どもが体調をくずし、その世話でばたばたと過ごしてしまい、自分と向き合う時間がまったくとれなかった。

セッション後3日目:

骨盤内の左寄りの部分で、プチっと何かがはじけたような、切れたような感覚のあと、そのあたりが急に自由になったことを自覚する。背骨にそって左側の部分、慢性的に押すと弱い痛みを感じていたのがきれいに消えている。夜中に目が覚めて、覚める寸前に左足首より下が魚の尾びれのような動きをしていたことに一瞬気づく。モスグリーンの濃淡のある風景が頭にのこっていて、深海魚がゆったりと海底をめぐっているイメージが湧いた。身体、心の深いところを探っているのだろうか。

セッション後4日目:

歯のかみ合わせがますます上下しっかりとしてきているためか、顔の骨格が変化していることに気づく。

セッション後5日目:

右肩、右腕の不規則な動き、違和感がある。咬み合わせもすこしずれた感あり。

セッション中の灰色の物に覆われていた時のことを田畑さんのおっしゃった「解放」という単語とともにずっと感じ続けていたが、浮かんでくるイメージ、思い当たること、さまざまあったが、結局、その物質が灰色の鉛のイメージでなくてよかった、(自分は薄くもなく厚くもないプラスチックのイメージを抱いていた)救われた、と感じるに至った。

セッション後6日目:

右肩の違和感に加え、右足体重が外側にかかって、歩行時の不快感が加わる。

セッション後7日目:

夜中に目が覚め、とてもすっきりした気分でいることを感じる。しばらく起きていると、右手の親指が、そこそこの強さ、スピードをもって曲げ伸ばしを始める。延々続けた気がする。動きの最後数十回には左手の親指も加わる。これに関しては、割とすぐ思い当たるイメージがあり、それに浸っていると「あなたが負うことではない、あなたはあなたを生きるのですよ」との内なる声が聞こえてきた。また一つ「解放」が起こったと感じた。明け方左足が一瞬つり、起きると左足外側に痛みを感じるがすぐに解消される。

セッション後9日目:

ここ3日間、両手で自分をきゅっと抱きしめるかたちで目が覚めていることに気づく。第2セッション後にも何回かあったのだが、たまたまかな、と深く考えなかったのだが、さすがに3日つづくと自分の中を探ってみざるをえなくなる。感覚、感情をたどり、最後に浮かんできた言葉は「努力なんかしたくなかった」。それに続き、身体が自動的に動き出す。右首のあたりを懸命にのばす動き、それと第2セッションでできなかった寝返る動きを成功させ、腹ばいになって反り返ることが出来ていた。起床してからも右腕、右首あたりを中心とした動きがかなり続き、結局、右肩あたりに余裕ができて、動きがかなりスムーズになっていることに気づく。努力なんかしたくなかった、という内なる声に、そうだったんだ、と静かな悲しみがわき、少し涙がこぼれた。

セッション後10日目:

明け方目が覚めると今日は上腹部のあたりを手がおおっていることに気が付く。昨日と同様に、感覚、感情を探ってみる。その気持ちに浸っていると、右肘から下を思いっきり外側に向け続ける動きがしばらく続き、その後右腕回しが始まる。起床後両腕の感覚を確かめると、違和感のある右腕の位置が、すんなりと収まっていることに気づく。ただ、暫くすると、また元の違和感ある感じに戻っていた。でも、あのすんなり収まっている感じが持てた、ということが自分をとても勇気づけてくれ、自分の身体に、すごいなぁ、有難う、の気持ちが自然と湧いてきた。

セッション後11日目:

また夜中に目を覚ます。右腕が自然と回転を始める。かなりの大回しから始まり、腕を伸ばせるだけ伸ばしての回転をかなり長時間続ける。そのあと、左腕の回転に移る。左腕を回しているときには、腕のねじれを修復しているかの感覚があり、左肩甲骨の中の浅いところで、なにかが切れた感覚があった。また右腕の回転に戻り、長時間続ける。最後に、両腕を同時に動かす動き、途中には身体をねじる、両手指を思いっきり開く、寝返る(昨日よりもずっとうまく出来ていた)、など。途中で眠たくなり、動きを止めたくなったほど、長時間動いていた。起きてしばらくして肩回りを観察してみると、昨日よりも両肩の動き、特に内側に丸める動きが格段に良くなっている。左脇腹の骨が、隙間をもって一本一本動いている感覚が持てるようになっている。それに対して右脇腹の骨は依然としてくっついたままの感じで違和感がある。

セッション後12日目:

夜中に目覚め、すっきりとした気持ちでいる。しばらく目を開けていると、左手のこぶしを握って、腕をぐるぐると大回しにし始める。今回は左側の動きが中心、左手首を思いっきり振り続けたり、腕を肩から右に折り返したり、腕を大回しする動きなど。かなり長時間続けたあと、右腕も回転させる動き、寝返りの動き、左体側を思いっきり伸ばす動きなど。

起きてみると、昨日より一段と腕を肩から丸く収めようとする感じがでている。起きてからはことあるごとに上半身を左側に捩じらせたがっている。しばらくすると上半身を不規則に回転させて、元の感じに戻ってきた。

セッション後13日目:

夜布団に入ると、左脚が回転を始める。大きく、小さく、さまざま暫く回した後、今度は右腕の動きに移る。右こぶしを握り締め、肘から下を大きく振る動き、肩から腕全体を大きく回す動き、など、昨晩の左半身の動きが右に移ったような感じ。しばらくすると寝てしまったようで、夢を見る。家の中の様子はいかにも昭和、中学生くらいの不活発な雰囲気の男の子、一人できちんと正座をして食事をとっている。背後には皿洗いなど後片付けをする女性の後ろ姿。私は、その男の子の斜め前に少し離れて座り、興味を持ってその男の子の様子を観察している。食事の途中で男の子が、不器用に、喋りなれない様子で「お、い、し、い」と呟く。それを聞いた私は、皿洗いをしている女の人に、「おいしい、って言ってますよ~」と声を上げると、女の人は、その子が言葉を発したことに驚き、信じられない様子、とても興奮し嬉しそうな顔をして「奥様に報告しなくては」といいながら、昭和の時代の黒いダイヤル電話の受話器を手に取る。そこで目が覚める。右手のひらを、喉のほど近く、右側鎖骨の上にあてていることに気づき、その気持ちを感じてみる。すると、ほのかな赤い色とともに嬉しい気持ちが湧きおこり、続いて背中が上に持ち上がるほど、とても大きくゆっくりと息を吸い、ゆっくりと吐き出す動きを長い間続ける。その後、また右腕を大きく回す動きを暫く続ける。その後、右側に大きく呼気を集める動き。両脚を内向き、外向きに動かす動きもあり。起きてみると、右側が若干膨らみやすくなっていることに気が付く。夢の中の登場人物はなぜ男の子だったのだろうか、と起きてから考えてみたが、それは自分の中の男性性の振り返りに繋がった。

セッション後14日目:

とにかく眠い、と思って布団に入る。寝ている間に何度も目が覚めて、そのたびに手足の指を大きく広げていることに気づく。夜中に、手指を大きく広げて胸の上に手を置いていることに気づき、なにか浮かんでくるイメージがあるか感じようとするが、眠さにまけてそのまま寝てしまう。明け方、なぜ私は一つのことを長く続けるのが好きではないのか、という問いが湧く。それにまつわる感覚、イメージを探り、思い当たることがさまざま浮かんでくるのと同時に、右腕が大回しをはじめ、その後左腕へと移っていく。最後両腕を上に伸ばす。起きてから、なぜ英語だけ例外的にずっと学びつづけているのか、という問いが湧き、この問い、明け方に思い浮かんだ問い、そして昨晩の夢に繋がる自分の中の男性性への気づきとが関連していることに思い当たり、なかなかの衝撃を受ける。

セッション後15日目:

身体は動きたがっていたが、夜更かししてしまったため寝ることを優先してしまった。でも、寝ている間も、身体を思い切って反り返らせたり、左足をいきなり縮めたかと思うと右足を思いっきり伸ばす、など、何回かそのために目が覚めたので、私の中のひとは頑張っていてくれた。

ここ数日ずっと続いている腕の大回しとそれに付随する一連の動きは、自分の今までの思い込みをもしかしたら振り払うためのものではないか、と思えてきた。セッション開始時に撮っていただいた写真のうち、私が一番強烈なショックを受けたのは、右肩をがっくりと落とした自分の後ろ姿で、それを見たとき「一体私は自分に何を背負い込ませてきてしまったのだろうか」という言葉が浮かんできたことを思い出す。

セッションを受け始めて、内なる本当の自分に興味が湧き、関係しそうな本を読んでいるのだが、ある本の中で、過去、現在がどんな状況であろうとも、すべての人はcuriosity, compassion, calm, clarity, creativity, courage , confidence, connectedness を内に資質として持っているのだ、という一文に出会い、なんて勇気をもらえる素敵な言葉なのだろう、と心の底から嬉しさ、前向きな気持ちがこみあげてきた。そして、私はロルフィングを通じて、この資質につながっていこうとしているのかもしれない、と思えてきた。

セッション1回目

凄い体験をした。

年齢を重ねるにしたがって、いままでになかったような体調の崩し方をするようになり、その都度、内科、耳鼻科、整形外科などに通って対処してきたが、その方法では限界があるのではないか、としばらく前から感じるようになっていた。心身を根本から見直す必要あり、と思い様々調べるなかで、ロルフィングを知った。私は関西在住で、大阪にもロルファーの方はいらっしゃるようだが、ホームページを見てもなんとなくピンとくる方がおられず、そのままにしていたが、年が明けて、もうこれ以上先延ばしにはしたくない気持ちが湧き、前からこの方なら、と思っていた田畑さんにお世話になる決心をした。

初めてのロルフィングを前に多少の不安や緊張もあったが、とにかく自分をなんとかしたい、その気持ちが勝っていたことと、ドアを開けて下さった田畑さんの在り様が、わたしの中の「なにか」を、うまい言葉が見つからないが、浮き立たせてくれた感じがしたことで、これから始まることをしっかりと受け止めようと、前向きな心構えができた。

田畑さんは問診中、言葉数はけっして多くないが、私の言葉の内容というよりも、私の中の「なにか」が訴えることを、丁寧に聴いておられたように、今振り返ると感じる。また、実際のセッションになると、田畑さんと、私の中にある「なにか」とが交流し、私という実在は、不具合を携えた心と身体をただ横たえていただけにすぎなかった、とも思える。

田畑さんが立っておられる場所を変えるだけで、体が受ける感じが全く違うこと(眼を閉じていたので、声でどこに居られるのかがわかった)、どこにも触れておられないのに、左下肢に電流のようなものを感じたこと、左足裏にいたっては、全面が一瞬電流のようなもので覆われたこと、田畑さんが右脚を扱われると、肘を曲げて掌が胸骨あたりに接していた右腕が、徐々に起き上がっていったこと、右股関節が意識下では到底ありえないほどに開いていったこと、しまいには右半身の存在をまったく感じなくなってしまったこと、そして右半身が空間に包まれ、その空間がどんどんひろがっていったこと、途中、右脚に、ブルブルと震えがきたこと、最初、寸詰まりで、全く解放されない違和感を受けていた左半身が、田畑さんが左脚を扱われるにしたがって心地よい暖かさにつつまれだし、しびれに代わっていったことに続いて、まず肩から右腕にかけて、次いで左腕にかけて勝手に動き出したこと。これらの変化を一瞬でも感じ逃すまいと、私は夢中になっていた。

目を閉じた感覚なので、実際どのように見えているのかは不明だが、これらの動きはどれも意識下ではとうてい不可能な動きのように思えた。特に、肩から右腕にかけて動き出した時には、下に落ちるのではないかとも思えるほどの動きに感じたため、最初は動き自体を感じることで精いっぱいだったが、その後左腕に動きが移動したとき、すこし冷静にそれをとらえることができた。そのとき気づいたことは、動きがむやみやたらなものではなく、まず一定の動きを何度も繰り返して、その動きがスムーズにできるようになったら、次の動きが開始され、それをまた何度もスムーズになるまで繰り返す、というきちんとした規則性をもっている、ということであり、非常に感動した。右側での動きよりも、左側での動きにてこずっていたのだが、田畑さんが右側の胸骨部分に触れられると、次第にその動きが改善されていった。

あまりにもこの動きが長時間に感じられて、いつまで続くのかと不安になった私は、田畑さんに、「このまま動いていていいのかどうか」尋ねたが、ゆっくりと動きに従うように、と、とてもきっぱりとした指示があって、ああ、安心していてよいのだ、と、動きに身を委ねた。

そうこうするうちに、こんどは左半身が、右側に倒れた感じに続き、左の脇腹伸ばしを開始した。この動きが今回のハイライトだったと思える。深い呼吸をともなったその動き、それ自体が、「意志」そのものであるかのように感じられたからである。実際にはわからないが、その動きは延々続いたと感じられ、もう十分ではないか、と勝手に判断した私は、その「意志」にたいして、「もうそのくらいでいいんじゃないの?」と話しかけてみた。そうしたら、その「意志」は、まるで怒り狂ったかのごとく、なんと動きの強度を何倍にも増してきたのである。上方向に強い力でその後何度も引っ張られ、私はそのたび台から飛び出すのではないかという恐怖を感じたが、「意志」がそこまでしたかったその気持ちを、私はいままで全く気付いてあげられなかったのだ、と思ったらなんだか悲しくて、そして申し訳ない気持ちでいっぱいになり、ええい、もう落ちるなら落ちてしまえ、とすこし開き直ったような、そしてすっきりとした気持ちになった思ったことを覚えている。

左わき腹の動きが落ち着いてくると、それをまっていたかのように今度は右腕が左腕の動きとともに上にあがり、それを数回繰り返すと、田畑さんの声が、私が伸びを繰り返していた、まさにその方向から聞こえてきた。ああ、「意志」は、田畑さんに見守られ、理解者の田畑さんにむかって、思い切りその存在を主張することができたのだ、よかった、と深く安堵した。

セッション後、気づいた変化としては

・台に座ってみると、明らかに左足が伸びている(10代後半から、体が左に傾いでいくようになり、そのため今日にいたるまで、左脚が短く感じていた)

・歩いてみるよう促され、歩みを進めようとおもうと、左足に力が思うように入らず、よろよろとよろけた。(生まれたての動物の子どもが、初めて立とうとするとよろよろする姿を思い出し、私も生まれ変わったのかの如く感じた)。

・胴回りにしっかりとした力を感じ、ばらばらだった上半身下半身の連動がとれている。歩くと、その胴回りを中心として体が前進し、手脚には全く力みが感じられない。

・体の中心軸が右側へと移動している

・ぎこちなかった左肩右肩の調和がとれている

・すべての体のパーツが調和しあい、自分が一つなのだ、と強く感じる。しかもエネルギーを蓄え、触ると弾力のある生き物と感じる

セッション翌日: 空腹感をまったく感じない。気持ちが非常に落ち着いている。周りのものの存在がとてもよく感じられ、自分はその中によく調和できている。心地よいものに包まれて、守られている感じ。かつ自他の区別がはっきりとできている。ふさぎ込むとか、内向きになるわけではないのに、周りとともに心地よくありながら、かつ自分の内側とずっと対峙している。脳を使って思考するとか、現実的な処理などしたくない気分だったが、ほぼ専業主婦の私はそんなことを言ってはいられない。たぶん、今までだったら、それを不機嫌さとして感じているのにもかかわらず、なかったことのようにして、自分の感情にしっかり蓋をしていたと思う。そのため、その不機嫌さが怒りとなっていつまでも自分の中に残っているような気がしていたが、今回は、その不機嫌さを自分のものとして感じとり、その不機嫌さをなだめつつ行動に移ったためか、怒りなどの感情が残っていないことに気付く。右手の手首からまがってしまう現象が、すこし改善している。

セッション後3日目:

起床時、左顎関節がきしむ。足の各関節がよくまがり、いままでよりも深く沈み込むことが出来るようになっている。しゃがんで立ち上がるときも、楽に立ち上がっていることに気付く。

セッション後4日目:

昨日同様、左顎関節がきしむ。体の軸が右寄りに移動したことに伴う変化だろうか。右側肋骨胸骨を膨らませて、右に広がっていきたい気分。腕を上げたとき、肘がピンと伸びる。左右の肩、腕の動きの調和がより滑らかにおこなわれていると感じる。

セッション後5日目:

起床時、耳の塞がった感じ。日常動作の中で、なんで今までこんな不自由な動きを自分に強いていたのだろう、こうすれば負担がないのに、という気づきがあった。

セッション後6日目:

起床時、耳の塞がった感じはないが、左顎の不具合をまた感じる。右側背中の肋骨が膨らみたがっているのを感じる。首が右に傾いてきているが、より良い変化のための途中経過と感じる。

今朝、家事をしながら、「私が本当に望んできた、またこれから望む幸せとは、思うよりももっともっと小さいものでよかったし、またいいのではないか」とふと思った。

いろんなことにちょっと敏感で、睡眠に関して、どんなに長い時間寝ても、起きてくると「なんか眠い」「いつも眠い」が常である子どもが、今朝は、「ぐっすり寝た」といって起きてきたことに驚く。睡眠に関して、ぐっすり、という形容をしたのは初めての気がする。わたしの変化が子どもにも良いものとして伝わっているのだろうか。

セッション後7日目:

起床時、左顎の不具合を一瞬だけ、そしてセッションを受ける前にしばしば起こしていた、左足のつる感じ、足首の亜脱臼感を感じる。昨日パソコンに向かうときの姿勢が悪かった自覚があるので、それに起因すると思う。

今朝「自分は、よいことも悪いことも含め、過去の出来事に囚われすぎている」という考えがポッと浮かんできた。昨日もそうだったが、朝一番に気付きが浮かんでくる。

胴回りのしっかりとした部分を支えとして、各関節がとても滑らかに動くようになっている。「自由」がしみじみと嬉しい。

今回のセッションでの一番大きな気付き:

いままで自分が「わたし」だと思っていた、つまり、頭で思考し、言葉を介して自分を相手に伝えてきた「わたし」は、実は「わたし」ではないのではないか。セッション最後で現れた「意志」こそが「わたし」で、その「意志」はことばを持たない代わりに、私の身体を舞台として表現したいことを伝えてくる。よく言われる「身体の声を聴け」とは、そういうことであり、私はその表現にことごとくそっぽをむいてきたから、現状があるのではないか。

今回提出する問診票を書くにあたって、今までどんなことが自分にあったか出来る限り思い出してみたのだか、自分でもあきれるくらい大小さまざま、自分が不調ととらえていた出来事があった。それらは実は不調でもなんでもなく、「意志」=本当の自分、の表明で、私はそれを無視し続けていた、イコール本当の自分を認めてこなかったということになるのではないか。ロルフィングを受けて、深く内側に沈み込む行為が続いていて、それはうーむと唸って黙り込みたく時間でもあるし、でも解き放たれていく気持ちよさがぽつりぽつりと浮かんでくる時間でもある。

第1セッション後8日目:

起床時ほんの少し左耳の詰まり感あり。左足大腿部外側にまあまあの痛みを感じるが、立ち上がるとすぐに消える。

なにごともバランスである、今の私にはそれがまったく欠けている。いまからが新しいスタート。自分に大いに期待する気持が自然と湧いてくる。これはいままで感じたことがない感覚。いままでは、頭で考えて自分をむりやり大丈夫だと思い込ませていた。同時に、期待をするが、予断を持たない、とも中の私が言っている。自分を雑に扱わない。

第1セッション後9日目:

起きる前、いつものように布団の中で腕回しなどしていると、左肩がいきなりガクンと音をたてたので、びっくりして慌てて起きて腕周りを確認する。左肩の背中に向かっての可動域が明らかに広くなっている。そのせいか、左わき腹がもっと広がりたがっているように感じる。

第1セッション後10日目:

今朝は左耳の不具合や左顎の不具合はない。左肩に変化があったからか、たまに右足外側に不快感がある。

第1セッション後11日目:

右手の手首の曲がりがまた少し改善されている。昨日肩回しをしすぎたのか、ちょっと左肩付け根が痛い。

ものにたいする間合い、距離、向かい方が今まで適当ではなかったのではないか、という気づきがある。

第1セッション後12日目:

昨晩寝ているときに、左肩がまたすこし音をたてて変化した。首が、おとといあたりから左に向くようになる。

食べ物をよく噛んでゆっくりと食べるようになっていることにふと気づく。いままでは、よく、「ろくに噛まずに飲み込んでいる」と家族に言われていた。

セッション2回目

朝、時間にかなり余裕をもって自宅を出たが、携帯を持ってくるのを忘れる、乗り換えの電車を間違えて発車前に飛び降りる、途中トイレにカバンを置き忘れる、下車時、切符をカバンのどこにしまったのか、探しても探しても見つからない、代官山駅からオフィスまで、正しい道をたどっていたのにも関わらずなぜか不安になって途中から駅までもう一度引き返す、などなど、自分でもどうしちゃったのだろう状態で臨んだセッションだったので、お部屋に入ってから呼吸が定まらず、かなり緊張してしまった。

田畑さんとのやりとりに続き、体の中との対話を始める。前回は動きの最中、私の中の声との対話がかなりあったが、今回は動きたがる体にただただ従って、ひたすら動きについていくことをしていた。今回、起こってくる動き自体をしっかりとこなしてほしい、という声が私の中に聞こえていて、その気持ちに忠実に従いたい、という心持であった。初めから終わりまで、とにかくよく動いた、というのが率直な感想である。途中、田畑さんの、どんな感じがしているか、という問いかけにも、どう動きたがっている、とか、その時に肉体がやりたがっていることしか言葉として浮かんでこなかった。

オフィスを出た直後は、あー今回は最初から最後までよく動いたなぁ、の気持ちしかなかったが、渋谷に向かう電車のなかで、突如、「爽快とはこのことだ!!」の気持ちが体の中から湧き上がってきた。気持ちが変に高揚しているわけでもなく、気分はとても落ち着いているのだが、なにか軽やかな、心にどんなものもまとわりついていなくて、ただ私の中の力を信じられる気持ちとともに、「爽快」の言葉が浮かんできた。前回は、帰りの新幹線の中、深く余韻を体が味わっている感じだったが、今回は空腹も感じたし、結構寝ることもできた。

田畑さんが本当に軽く(と感じる)触れられるだけで、首がその存在をまったく感じさせなくなったり、動きのわるい部分は、水をえた魚のように生き生きとしだしたり、私の体の動きが田畑さんの動きに従っていくのか、はたまた田畑さんが瞬時に私の体の動きを前もって感じられて、寸分たがわずそれにそって導いてくださっているのか、今回もその凄さを体がしっかりと感じた。

特に今回はセッションの開始時、まったく私の体に触れることなく、立っておられることだけで私の中に変化をもたらしておられたことに深く感動した。毎回文字通り‘もがいて’いる私に、本当に必要な時だけ助けてくださる、しかもその助けはその時そこにとってまさに過不足のないものであることにただただ驚かされる。

セッション直後の気づき:

膝から下、足の裏にかけて重みをしっかりと感じる。

右左のアンバランスな感じはあるが、股関節の存在、そして股関節と脚のつながりを感じられる。

楽に沈み込むことができる。

帰宅途中に感じた気づき:

広がりたがっていた右の胸骨肋骨が十分に広がって、呼吸がとても楽になっている。それにともなってか、数日前から感じ出した、左側の肋骨の広がりたさ加減が増している気がする。

一番驚いたことは、視界が広がっていること、場の奥行きが広くなっていることに気づいたことである。電車の中で、なんだか今日は妙に端まで見渡せるなぁ、と思い左右、また上下をなんども見てみたのだが、明らかにいままでとは見え方が異なり、場が立体的に、遠くまで見渡せるようになっているのである。今日のセッションとどんなつながりがあったのか、本当に仰天した。

また、夜、家でくつろいでいたら、突然、右肩のあるべき位置、曲がるべき関節はこれなのか、と感じられる時間があり、これにも驚いた。ただこれは、一晩寝たらその感覚はなくなっていて、とても残念である。ただ、自分の体が覚えていてくれるであろうから、いつか戻ってきてくれるという見通しが自分の中にあるのでうれしい。

第2セッション後1日目:

あちこち体が痛い。腰を中心として、肩が左右に十分に動くのが心地よい。以前に比べて、物事に一喜一憂しなくなっている。今朝、ベランダにあったゴミ袋がカラスにつつかれて、ごみが散乱していたのだが、以前の私ならたぶん大騒ぎしていたかと思うが、まったくもーしょうがないなー、と思いながら淡々と処理している自分がいた。

第2セッション後2日目:

驚くことがあった。レポートを書こうとして椅子に座って目を閉じて何度か深呼吸していたら、なんと体がセッションの時のように自然と動き出したのだ。最初は呼吸とともに胸がよく広がって気持ちいいなあと思っていたら、両腕が自然と上に動き出したのである。えっ、と思ったが、なんだかその動きについていきたい気持ちになり、セッションの時のように体の中の声に従った。椅子に座っていたので横の動きの時には何度も下に落ちそうになったが、たまたま隣にあった椅子が動きを受けてくれたのがラッキーで、途中、昨日のセッションの中で起きた、左腰が曲がって痛いのに右側は左に行きたがっている動き、そして右手指が大きく広がって腕が動き出した動きが再現されて、もしかしたら私の身体はそれがやり足りなかったのだろうか、と思った。とくに右手の動きは、限界まで開いた手指を肩から徐々に大きく回していき、最後はその動きをピタッと止めたことに感激した。最後は、座っている姿勢にきちんと戻ったので、それにも感動だった。1時間弱やっていた。

第2セッション後3日目:

数日前から、起き抜けに背中と顎が少し緊張している感じがしていたが、姿勢が変わって枕があわなくなっているのではないか、と気づく。また、これも姿勢の変化によるのか、右の腰に若干痛みを感じる。

第2セッション後4日目:

夜中にふと目が覚めて、ちょっと耐え難い孤独感?を感じた。怖くなってすぐに目を閉じたらそのまま寝てしまった。

起きると、両足が地面をしっかりと感じていることに気づく。呼吸がとても楽に深くできている。吐き出すほうがうまくできないといつも思っていたが、しっかりと最後まで吐き出すことができるようになっている。

肩の動きがなかなかしっくりこないことの自分なりの考察:

前回も今回も肩と腕に引っ掛かりがかなり感じられている。これは中学の時の部活動のテニス(朝練、放課後、土日)、それと、忘れていたが、社会人になって一時期ゴルフに熱中していたことも関係していると感じる。私はなぜかラケットもクラブも重いものを好んで使っていたことを思い出し、それらを理にかなっていないスイングで振りまわし、体にかなり負担をかけていたのではないかと思う。また、緊張すると胸から肩にかけて力を入れてしまうので、その動きが体に染みついているのかもしれない。

数日前から、重いコートが急に負担に感じ出し、いままでよくこんなものが着ていたなあ、と思うようになっている。重いものも平気で持っていたし、また持てることがなにか凄いことのようにも感じていたし、振り返るといままで自分に随分とかわいそうなことをしてきたなあと思う。

わずか2度の体験で、こんなにも身体と心に変化が起きていることに対して、とても驚き心底うれしい。しかし、昔に読んだ河合隼雄さんのご著書のなかで、「変化が早く表れるクライアントに対し、喜びすぎてはいけない。本当の変化とはゆっくりと徐々に表れるものであって、変化が早く表れるということは、実は重いものを抱えている、ということなのだ」といった意味の文章があったことを思い出す。まあ、この年齢まで本当の自分に気づかずにきてしまったのだから、それもしょうがないな、と思う。

第2セッション後5日目:

足裏がしっかりと地面を感じている。それとともに、脚の位置が前に出たような感触。ジーパンをはいていると、脚の後ろ側に隙間ができた感じ。

第2セッション後6日目:

左首の付け根あたりに痛みを感じる。左側が全体的に広がりたがっている感がますます増している。足裏が地面をしっかりと感じるようになっている。自分の中のひとは、結構いろんなことに対処していけるぞ、という感じがわいてくる。

第2セッション後7日目:

昨日から起床時、食いしばっているのではないが、歯が上下咬み合わさっている。下半身がしっかりしてきたからかどうか、上半身がねじれている感じがする。

第2セッション後8日目:

左半身、腰と背骨にそった筋肉?がかなり痛い。自分で揉んだり、さすったり、あちこち動かして少し運動してみる。

第2セッション後9日目:

昨日の自己流運動がよくなかったのか、起床時、セッション開始以前に時折感じていた右腕のしびれ感を久々に感じる。左肩がまた少し動く。

起きて歩いてみると、昨日まで感じていた、脚の位置が前に出て、脚の後ろ側に隙間が増えた感じが弱くなっている。地面を十分に感じて、地面を踏みしめて歩けることが心地よかったのだが、残念だ、と思っていたら、午後になって、歩いていると上半身が上に引っ張られている感じが出てきていることに気づく。

第2セッション後10日目:

就寝中、左ふくらはぎが一瞬つる。上半身が上に引っ張られている感じとともに、顎が引かれている感じが加わっている。いままでは顎がいつも上がり気味だったので、ちょっと窮屈に感じる。ジャンプすると、それにつれて両肩がとても自然に上下することにびっくりする。

第2セッション後11日目:

明け方にまた左ふくらはぎが一瞬つる。今回、つる前に左足に強く力を入れている瞬間を感じた。また、寝ている間に左側の歯を強く噛みしめていたことにも気づく。起床時、右手のしびれ感を感じる。午前中、右肩が何回か動いているのに気づく。右肩が動いている、と意識して感じられたのは初めてだ。

第2セッション後12日目:

右肩がやはり動いている。右肩の窮屈さが減っている。夜、左手指の骨?が動いているのを感じる。上に引っ張られた感じとともに、足が地面をしっかりと感じながら顎をひいて歩けている。よく言われるよい姿勢に近いのだろうか、それは意識しなくても自分には自然にできる力が備わっているのだ、ということに感激する。

第2セッション後13日目:

昨日感じた左手指の動きによる違和感がかなりある。

第1セッション終了後の、自己統一感、弾力のある体の感じが自分を支えている。途中何があっても、あの感じが自分には持てるのだ、といううれしさが自分の自信につながっていると思う。

今回のセッション中に起きた自分の動きには、赤ちゃんが歩けるようになるまえにゴロゴロする動き、寝がえりをうとうとするときの動き、ハイハイするときに腹ばいで上半身をもちあげる動きに近いものが含まれているなあ、とふと感じた。